NOTE

Fragments of Thought
思考の断片
それは、食と感覚のあいだに立ち上がる、かすかな思考の記録。
「料理の届け方=味わいのインターフェイス」ととらえ、
その接点を問い直しながら、日々の中でふと立ち上がった思考や違和感、
まだかたちにならない感覚の断片を、そっと書き留めています。
ここにあるのは、明確な答えではなく、
むしろ、思索の途中にある曖昧な問いや、感覚のひだに潜む気づきです。
けれど、そうした小さな断片のなかにこそ、次の発想や視点の入り口が潜んでいるのではないかと感じています。
料理の世界観、食べるという行為、味わいの体験。
それらを、少し視点をずらして見つめてみると、
これまで意識してこなかった接点や、記憶に残る一皿の設計図が静かに輪郭をあらわすことがあります。
この記録は、何かを断定したり導くものではなく、
ただ、いま見えている枠の外側に小さな問いを投げかけるような営みです。
もし、どこかで同じような違和感や発想のきらめきを感じている方にとって、
この記録がなにかの共鳴や、次の視点の足がかりとなれば、これほど嬉しいことはありません。
-
No.01
カトラリーを再設計することで、料理の体験はどう変わるか?
-
No.02
咀嚼の時間が、記憶に残る味をつくる?
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No.03
食感が心理に与える影響を、料理設計にどう組み込めるか?
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No.04
「食べること」は、社会的アイデンティティの再定義か?
-
No.05
高齢化社会と“80代からの食体験”の再構築
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No.06
苦味という「大人の味」は、どこからやってくるのか?
-
No.07
「脳に食べさせる料理」はつくれるか?
-
No.08
一皿の料理を発想するルートの新たな可能性を探る
-
No.09
食体験の「入り口」は、もはや五感ではない?
-
No.10
レストランにとって、ホームページはもう必要ない?

- No.01
- カトラリーを再設計することで、料理の体験はどう変わるか?
企画の問い(Problem)
「食べる」という行為は、手の先の道具によって変わるのではないか?
スプーン、フォーク、ナイフ、箸。
私たちはこれらのカトラリーを「当たり前の道具」として受け取ってきました。
けれど、もしその“当たり前”を一度外してみたら――
料理の体験そのものが、まったく別のものになるかもしれません。
- カトラリーは「味わい方」をどう誘導しているのか?
- 手で食べることと、道具を介すことのあいだに、どんな心理的変化があるのか?
- 触れる、切る、すくうといった動作の設計によって、「食べる体験」は変容するのか?
食の体験設計におけるインターフェイスとしてのカトラリー。
それは、食材と身体の関係性を静かに制御する、もうひとつのデザイン領域かもしれません。
観察と発見(Observation)
“どう食べるか”が、“何を感じるか”を決めている。
- 重みや素材の違いが、食事の所作や印象に影響を与える
→ 木製は「ぬくもり」、金属は「精度」、陶器は「静けさ」 - カトラリーの動き方が、料理のリズムを生む
→ 切る、すくう、つまむ、持ち上げる。ひとつの動作が感情を準備する - 手との距離感が、味わい方の深さを変える
→ 手で食べるときのダイレクトな温度感は、安心や親密さを引き出す - 道具の存在が「緊張」と「自由」を演出する
→ フォーマルな道具ほど儀式性が高まり、気持ちを切り替えるスイッチとなる
こうした発見は、カトラリーが単なる補助具ではなく、
「食べ方=体験の導線」をデザインしていることを示しています。
思考とスケッチ(Design Exploration)
料理にふさわしい「触れ方」を設計する。
- 素手で食べたくなる料理を設計する(熱さ・冷たさ・濡れ感を楽しむ構成)
- ひと皿ごとにカトラリーを変えることで、体験に段差をつくるコース
- 音や手触りを演出する「カトラリーの素材と形状」の設計
→ たとえば:陶器のスプーンで静けさを、鉄のフォークで重厚感を - 二人で一つのカトラリーを使うなど、「共感覚的な食べ方」の設計
- カトラリーを使わない選択(たとえばスープを両手ですくう)も含めて、「どう触れるか」を最初から考える
料理だけでなく、“その料理をどう扱うか”までを含めた体験の再構築。
まるでインスタレーション作品のように、ひと口の所作が意味をもつ世界を描きます。
食体験のシナリオ(Scenario Design)
「道具の演出」で、ひと皿の意味を変える。
- あえて“手で食べる”ことを促す一品。指に残る余韻を、記憶の一部に
- ひとつの料理に対し、複数のカトラリーを用意し、食べ方を選ばせる演出
- 石のように重いスプーンで、「すくう行為」に儀式性を宿らせる
- 繊細なスティックで刺すように食べる料理が、「集中」と「緊張」を生む
- 子どものころの記憶をなぞるような“プラスチック製カトラリー”の一皿
このようにカトラリーの設計は、料理に“物語性”や“記憶性”を付加するレイヤーとなります。
結論と問い(Future Question)
「カトラリーの再設計」は、料理の“味わい方”そのものを再構築する鍵になるか?
- 料理の印象は、“何をどう使って口に運ぶか”によって変わるのではないか?
- カトラリーを再設計することで、「味の記憶」や「空間の温度感」をも変えられるか?
- 食の体験を“道具と所作のインターフェイス”として設計し直すことは可能か?
料理の設計に、カトラリーという「触覚のデザイン」を組み込むこと。
それは、味や盛り付けだけでは届かなかった、感覚の深層を拓くアプローチかもしれません。

- No.02
- 咀嚼の時間が、記憶に残る味をつくる?
企画の問い(Problem)
私たちは日々、何かを食べている。けれど、その「味」をはっきり思い出せることは、どれくらいあるでしょうか?
食べたことを「記憶している料理」と「忘れてしまう料理」──
その差を生む要素のひとつに、“咀嚼の時間”があるのではないか。
もし、噛むという身体のリズムが、味わいの深度と記憶の定着に関係しているとすれば、
料理の設計や提供のあり方は、もっと変えられるのかもしれません。
観察と発見(Observation)
- 早食いした食事は、味よりも“満腹感”しか残らない
→ 咀嚼が少ないと、味の解像度が低く、記憶にも残りにくい。 - 時間をかけて噛んだものは、「食べたという実感」が強く残る
→ 特に繊維質のある野菜や、かみごたえのあるパンなどは、記憶に残りやすい傾向がある。 - 咀嚼は味だけでなく、“記憶”や“感情”とつながっている
→ よく噛んでいる間に、記憶が蘇ったり、気持ちが落ち着いたりする体験がある。
→ これは、咀嚼が脳の記憶領域(海馬)を刺激するという神経科学的知見とも一致する。
思考とスケッチ(Design Exploration)
「咀嚼が生む記憶の皿」
- 咀嚼にかかる時間とリズムを“体験要素”として設計する
→ 例:1口に10回以上噛む必要のある食材を意図的に組み込む。 - 咀嚼によって変化する「味の時間差」を楽しむ皿。
→ 最初は甘く、あとから苦味や酸味が立ち上がる構成で、時間をかけることで味の奥行きが現れる仕掛け。 - 咀嚼中の時間に香りが変化するようなアロマ演出を加える。
→ 噛むごとに、感覚が揺さぶられ、記憶が染み込むような体験。
食体験のシナリオ(Scenario Design)
- 「噛むことで蘇る記憶」
→ 子どものころに食べた、硬めのご飯や、おばあちゃんの漬物のように、咀嚼によって記憶が立ち上がる。 - 「噛むことが“現在”を深く味わう装置になる」
→ 慌ただしい日常ではなく、噛むことで「今ここ」に意識を戻す。 - 「味の設計=時間の設計」
→ ひと皿が数秒で終わるのではなく、“30秒味わう皿”のような設計思想。
結論と問い(Future Question)
咀嚼とは、単なる咀嚼運動ではなく、「味わいを身体に定着させるプロセス」であるかもしれない。
- 「味」とは舌の感覚だけでなく、記憶にとどまる“時間の総体”として再定義できるのでは?
- 噛むことが減っている現代において、「噛むことを味わう料理」を、どう設計していけるのか?
咀嚼の時間を体験の設計に取り込むことで、
味がより深く記憶に刻まれる“感覚の物語”を描けるかもしれません。

- No.03
- 食感が心理に与える影響を、料理設計にどう組み込めるか?
企画の問い(Problem)
「美味しい」と感じる要因には、味や香りだけでなく、“食感”も大きく関わっている。
では、その食感が、私たちの“感情”や“心理状態”にまで影響しているとしたら?
たとえば、カリッとした音に安心したり、もちっとした食感に幸福感を抱いたりするように。
食感は、舌や歯、顎を通じて「身体で味わう」要素であり、そこには無意識の感情スイッチが隠されている。
この心理的影響を読み解くことで、料理設計はより感覚的・感情的な体験へと進化するのではないか。
観察と発見(Observation)
- 「カリッ」「サクッ」という音が、安心感や心地よさを生む
→ 音によって、食事にリズムと軽快さが加わる - 「もちっ」「とろっ」という感触は、癒しや懐かしさと結びつきやすい
→ 幼少期の記憶や家庭的なイメージを喚起する - 「ザラッ」「ネバッ」など、不快になりやすい食感もある
→ あえて違和感を与えることで、印象深い体験になることも - 食感は「感情のレイヤー」として料理の印象を大きく左右する
こうした発見は、食感が「身体感覚と感情」をつなぐ重要なインターフェイスであることを示している。
思考とスケッチ(Design Exploration)
- 食感で感情を導く「心理設計」の導入
→ 例:サクサクの前菜で緊張をほぐす/もっちりの主菜で安心感を与える - 時間によって変化する食感の演出
→ 最初は固く、徐々にとろけていくことで、「変化」や「驚き」を生む - 音の立つ食感を意図的に強調する器や構造
→ 例:音を拾う素材の器で「カリッ」を響かせる - 食感と色・香りを連動させた五感設計
食感は味そのものではなく、“味の感じ方”を変える装置である。
だからこそ、料理の中に「触覚的感情」をどう埋め込むかが鍵となる。
食体験のシナリオ(Scenario Design)
- 「カリッ」と音がする一口目で、気持ちのスイッチを入れる
- もっちりとした主菜で、心の緊張を緩める演出
- とろける食感が、余韻とともに心を鎮める締め皿
- あえてザラついた食感で、食べ手の注意を引き、印象を強める
- サプライズ的に食感が変化する構成で、記憶に残る体験を設計
食感の設計は、料理の「感情曲線」を描くためのレイヤーであり、
一皿の体験価値を高める重要な要素となり得る。
結論と問い(Future Question)
食感は単なる物理的な感触ではなく、「感情のトリガー」としての設計素材である。
- 料理における“心地よさ”や“驚き”は、食感によって操作できるのでは?
- 「噛みごたえ」や「口溶け」の設計は、心理的印象を変える鍵になる?
- 感情の流れを食感で演出することは、食体験の“ストーリーテリング”になり得るか?
料理の「感触的演出」は、食べる行為そのものを、
より感情的で記憶に残る体験へと変えていく可能性がある。

- No.04
- 「食べること」は、社会的アイデンティティの再定義か?
企画の問い(Problem)
食べるという行為は、生命維持のための基本的な活動であると同時に、
実はその人の価値観・所属・信念を映し出す、強力な社会的シグナルでもある。
ヴィーガンであること、地産地消を選ぶこと、宗教的禁忌を守ること、特定の料理を“わざわざ”食べに行くこと。
私たちが「何を」「どう」食べるかは、アイデンティティや生き方の延長線にある。
では、現代の“食の選択”は、どのように社会的アイデンティティを再定義しているのだろうか?
観察と発見(Observation)
- 食の嗜好や選択が、個人の思想やライフスタイルの一部として語られるようになってきた
- ヴィーガンやグルテンフリーなど「選ばない選択」が自己表現になっている
- 食にまつわるSNS投稿が、社会的ポジションや美学の可視化手段になっている
- 「誰と」「どこで」「どう」食べるかが、その人の世界観や所属意識を示す
- 一部の料理は、文化や階級、あるいは信条の象徴になっている
つまり、食はただの消費行動ではなく、
「生き方の選択肢」として、個人の社会的輪郭をかたどっている。
思考とスケッチ(Design Exploration)
- 「この料理を選ぶ人は、どういう生き方をしているか?」から逆算したメニュー開発
- 宗教・倫理・環境意識などを含んだ「選択の理由」を内包するレストラン体験
- 「選ぶ自由」と「語れる余白」を提供するデザイン(ストーリーカードや原材料の見える化)
- 食の場そのものを、社会的な対話や関係性構築の空間として設計する
食体験は単に「料理を提供する」ことにとどまらず、
「食べ手の存在意義を肯定する場」にもなり得る。
食体験のシナリオ(Scenario Design)
- 地元の素材と物語を活かし、地域への帰属意識を高めるコース
- 宗教・文化的背景を持つゲストにも対応した多様性重視の体験
- 「食べ方を選べる」ことで主体性を促す構成(例:食材を選んで組み立てる一皿)
- 料理を通して、社会課題や背景を問い直すような演出
- 「あなたはどう食べたい?」という問いを料理体験に埋め込む
食の場は、「自分は何者か」を問い直す場所にもなりうる。
だからこそ、料理人は“表現者”として、その問いを料理で語ることができる。
結論と問い(Future Question)
「食べること」は、ただの消費行動ではなく、
社会的アイデンティティの再定義そのものである。
- 私たちは、何を食べることで、何を語り、どこに所属していると示しているのか?
- 料理は、誰かの生き方に共鳴しうる“共感装置”になれるか?
- 「食の選択肢」は、どれだけ多様な物語を許容できているか?
レストランとは、単に食事を提供する場ではなく、
人が“何者であるか”を語り、再構築する場になり得るのではないか。

- No.05
- 高齢化社会と“80代からの食体験”の再構築
企画の問い(Problem)
80代を超えると、多くの人が「噛めない」「飲み込みにくい」「味を感じにくい」といった変化に直面する。
しかし、それは“味覚の終わり”ではなく、新たな食体験の再構築のスタートかもしれない。
高齢期の食事は、ただの栄養補給ではなく、尊厳・喜び・記憶を取り戻す行為でもある。
では、料理人やデザイナーは、高齢者の「食べる意味」をどう再設計できるだろうか?
観察と発見(Observation)
- 加齢による食機能の低下により、「楽しむ食事」が「耐える食事」になることがある
- 介護食やソフト食は安全性重視の一方で、見た目や体験価値が軽視されがち
- 嗅覚・触覚・温度感覚は比較的残るため、五感全体で補う工夫が重要
- 「昔食べていた味」「家庭の記憶」による感情喚起力が非常に強い
- 共食(誰かと一緒に食べる)によって、心理的な満足度が大きく向上する
つまり、高齢者の食体験は、
身体的制約の中にこそ、新しい創造の余地がある。
思考とスケッチ(Design Exploration)
- 食材の食感や香り、温度の変化で「記憶」を引き出す一皿
- 食べやすさと美しさを両立したソフト食のデザイン
- 五感を活かす演出(音・香り・手触り)による“非味覚的”な満足感
- 「昔の思い出を語り合う食卓」設計(語れるメニュー、懐かしの器)
- 介護の現場における「感性の食事支援」スキーム
高齢者向けの料理は、
単なる制限対応ではなく、記憶・感情・関係性を取り戻す表現であるべき。
食体験のシナリオ(Scenario Design)
- 「過去の記憶を辿る一皿」:昭和の家庭料理を再現しつつ、食べやすさを再設計
- “香りの立つ食卓”:嗅覚を刺激するだし・スパイス・湯気の演出
- 「手のひらで食べる」:握りやすい・触って楽しい食形態
- 同年代と語りながら食べる「回想カフェ」的レストラン
- 「一緒に盛りつける」など、行為に参加できる食体験の設計
80代からの食卓は、
「人として尊重される時間」をどうつくるかという問いでもある。
結論と問い(Future Question)
高齢者の食体験とは、単なる延命や機能維持の手段ではない。
生きる意味と誇りを取り戻す、感性の営みである。
- 高齢者は「食べること」に、どんな感情・記憶・世界観を重ねているのか?
- 料理人やデザイナーは、「老い」とどう向き合うべきか?
- 人生の終盤にふさわしい、食の設計とは何か?
料理の力で、
「老い」を肯定し、「食べる喜び」を再構築することは可能だろうか。

- No.06
- 苦味という“大人の味”は、どこからやってくるのか?
企画の問い(Problem)
子どもの頃は嫌っていた「苦味」が、大人になると魅力的に感じる。
コーヒー、ビール、山菜、カカオ――
私たちはなぜ、“苦さ”を好むようになるのだろうか?
そこには、生理学・文化・経験・記憶が複雑に交差している。
「苦味を味わう」とは、どういう体験なのか?
料理設計において、苦味の表現はどうデザインされうるのか?
観察と発見(Observation)
- 苦味は生理的には「毒」のサインとして忌避される味覚
- しかし経験学習により“好ましい苦味”として認識が変わる
- 苦味の受容は、年齢・文化・食習慣に大きく左右される
- 「大人になった証」として、苦味は象徴的に語られる
- 苦味には、深み・余韻・陰影など、感情的な奥行きがある
つまり、苦味は
“成熟”や“経験”と結びついた味覚であり、単なる味以上の意味を持っている。
思考とスケッチ(Design Exploration)
- 「苦味のはじまり」:子どもが楽しめる優しい苦味の導入設計
- 感情を揺さぶる苦味の設計(焦げ、渋み、燻製)
- 苦味を通じて「陰影」「静けさ」「余韻」を表現する一皿
- “あえて苦くする”ことで大人の会話を引き出す料理体験
- 料理×ドリンクで苦味を重ねるペアリング演出
苦味は、
「解釈されること」を前提とした、思考する味である。
食体験のシナリオ(Scenario Design)
- 「はじめてのビター」:子どもと一緒に楽しめる“苦味体験”ワークショップ
- 「人生の苦味を語る」:大人同士の会話を促すコース料理
- 「陰翳の皿」:光と影のコントラストを苦味で表現
- 「静かな夜のペアリング」:ウイスキーとビターチョコの対話
- 「苦味の地図」:国ごとの苦味文化(抹茶、薬膳、発酵)の比較メニュー
苦味をどう語るかは、
その人の記憶・文化・人生観の鏡でもある。
結論と問い(Future Question)
苦味とは、「成熟した味覚」というだけでなく、
人生の陰影や、思考の深みを感じさせる感性の装置である。
- なぜ私たちは、苦味を“美味しい”と感じるようになるのか?
- 料理人は、どのように「苦味で語る」ことができるか?
- 苦味の奥にある感情やストーリーを、どう可視化できるか?
「苦い=美味しい」は、
味覚以上の哲学的体験なのかもしれない。

- No.07
- 「脳に食べさせる料理」はつくれるか?
企画の問い(Problem)
美味しいとは、舌で感じることなのか?
それとも、記憶や想像、映像、香り――脳が総合的に判断するものなのか?
食の現場でよく言われる「五感で味わう」の先にある、
「認知・知覚・記憶」に働きかける料理は、可能なのか?
つまりそれは、“脳に食べさせる料理”の設計に他ならない。
観察と発見(Observation)
- 食体験の大半は「脳内で完結する体験」だという説がある
- 味は、視覚・嗅覚・温度・記憶・期待などと複雑に結びついている
- 香りや音が味の感じ方を大きく左右する
- 「過去の記憶」が美味しさを再構築する要素になっている
- つまり、食とは「認知のデザイン」である
食体験とは、
脳がつくりだす“物語的な味”の再構成なのかもしれない。
思考とスケッチ(Design Exploration)
- 「見た目」と「味」のギャップで脳を驚かせる料理
- 記憶を呼び起こす香りやテクスチャーの演出
- 音楽・空間・照明と連動した味覚の変容
- 視覚情報を遮断し、触覚・聴覚に特化したコース体験
- AIと連携して個人の記憶に寄り添う一皿の提案
食を“食べる行為”から“脳が旅をする行為”へ。
味覚の概念を再定義する設計が求められている。
食体験のシナリオ(Scenario Design)
- 「記憶のスープ」:その人の故郷や体験に基づく味の再現
- 「錯覚の一皿」:視覚と味覚の違和で脳を揺さぶる
- 「白いレストラン」:視覚情報を遮断して“脳だけで食べる”体験
- 「ストーリーメニュー」:一皿ごとに記憶の旅を辿るコース
- 「感情の味」:感情状態に合わせて風味が変わるペアリング演出
脳を食卓に招くことで、
料理は“物質”から“思考の体験”へと進化する。
結論と問い(Future Question)
私たちは、食べているのではない。
「脳で感じている」のだ。
- どこまで「認知」をデザインすることができるのか?
- 記憶や感情に作用するレシピとは、どう設計できるのか?
- 料理とは、脳内の「感覚の編集」なのか?
“脳に食べさせる料理”は、
未来のレストランが持つ、新たなフロントラインかもしれない。

- No.08
- 一皿の料理を発想するルートの新たな可能性を探る
企画の問い(Problem)
一皿の料理は、何から始まるのか?
素材?季節?土地?ストーリー?
これまでの“王道の発想”に縛られず、
料理の設計を異なる視点や思考ルートから着想する可能性を探りたい。
料理が生まれる“思考の回路”を再設計することで、
未知の皿に出会えるかもしれない。
観察と発見(Observation)
- 多くの料理は、素材・季節・文化などからのアプローチが一般的
- 一方で、アート・科学・哲学など他分野との接続が新たな発想源になる
- 非合理的・偶発的なプロセスが創造性を刺激する
- 五感だけでなく、「問い」や「違和感」から始まる設計もある
- 発想の“前提”をずらすことが、表現の自由度を上げる
一皿は「食材」だけでなく「思想」や「問い」からも生まれる。
思考とスケッチ(Design Exploration)
- 科学的なプロセスから味の組成を逆算して料理を構築する
- 「言葉」や「概念」から始める抽象的なレシピ設計
- 地図や地質データなど、非食領域の情報を元にした皿の構成
- ある感情・記憶・風景を再現することを目的とした料理設計
- ストーリーから“逆算”して味と構造をつくる脚本型アプローチ
料理人はシェフであると同時に、
編集者・詩人・科学者・建築家でもある。
食体験のシナリオ(Scenario Design)
- 「ひとつの感情を皿にする」:怒りや静けさを味に変換する試み
- 「未踏の地形」:地図上の一地点をインスピレーションにしたプレート
- 「概念の料理」:“やさしさ”“孤独”など抽象語から展開するコース
- 「科学と錯覚」:科学実験のような調理と錯覚の演出
- 「問いの一皿」:答えではなく問いを提示する皿(例:「これは料理か?」)
一皿は、素材ではなく、
思考のプロセスそのものとして生まれてもよい。
結論と問い(Future Question)
料理は「つくる」から「構想する」へ。
発想ルートの自由度が、食体験の深度を決める。
- どんな“異分野的視点”が料理の可能性を広げるのか?
- 料理の発想源を複数持つことは、どんな豊かさをもたらすのか?
- 料理は「食べること」以上の行為として定義し直せるか?
「どうやって生まれたか」が皿の価値になる時代へ。

- No.09
- 食体験の「入り口」は、もはや五感ではない?
企画の問い(Problem)
「料理の体験」は、五感ではなく、もっと前から始まっている。
「食べたい」という意思は、どこから立ち上がるのか?
舌や鼻、目からの刺激ではなく、“意図”や“欲求の予兆”から味覚は生まれているとしたら?
たとえば――
ある音に反応して無意識に「温かいもの」を欲する
湿度と空気圧の変化で「酸味に惹かれる」傾向が強まる
社会的な孤独感が高まると「粘度のある食感」への欲求が増す
この「欲する」という最も手前の“味覚の起点”が、
実は食体験の真の入り口ではないか?
観察と仮説(Observation)
脳科学的に「食欲」は外部刺激よりも内部状態(ホルモン、ストレス、記憶)の影響が強い。
→ つまり、まだ何も見ていない・食べていない段階で“食の好み”は生じている。
空腹状態ではなく「意味を欲する状態」=心理的空白感が、特定の味(コク、旨味、ぬくもり)を引き寄せる。
味覚欲は、感覚ではなく“概念”に影響される。
→ 「明日、転機が訪れる気がする」→なぜか「炭酸」や「シャキッとした音の食感」を欲する。
思考とスケッチ(Design Exploration)
- “概念トリガー”による食欲設計
食材やメニューを見せず、「現在の心理状態」に共鳴する映像やキーワードだけを提示し、欲する味を探る。
例:「再起」「離脱」「結び」などのキーワードから、脳が“味の概念”を自動生成するUIを設計。
→ 脳が欲している味を可視化する「味覚プロンプター」の開発。 - “気象×心理×味覚”の複合モデル
湿度80%、体感温度28度、心理状態「疲労・孤独」→「ぬるい出汁+とろみ」の料理欲求が高まる。
→ 環境・心理に応じた味覚予測モデルによる“未来レコメンド料理”。 - “視覚以前”のUIデザイン
味覚の起動を視覚から切り離す。
→ 匂い・湿度・振動・皮膚感覚だけで“これから食べたいもの”を浮かび上がらせる体験装置。
シナリオ(Future Scenario)
食体験のUIは「選ぶ」から「現れる」へ。
料理を選ばず、自律神経や感情ログに合わせて“今のあなたの味覚”が浮かび上がるシステムによって、一皿が導かれる。
「食べる気持ちの前に、味覚はもう生まれている」。
目で見て、鼻で嗅ぐよりも先に、その人の“未来欲求”が食の方向性を決めている。
それを捉えるUI/UXこそ、今後の設計領域。
SNSは食の“入口”ではなく、“補完装置”になる。
写真や言語ではなく、無意識的な共感(感情ベースの共有)が入口の主導権を握る未来。
結論と問い(Future Question)
「食べたい」とは、味覚ではなく“未来の自分を整える行為”なのかもしれない。
食体験の真の入口は、舌ではなく“これからどう在りたいか”という願望ではないか?
もし、まだ誰も認識していない第六の味覚入口=意思覚(will sense)が存在するとしたら?
私たちはそこから、まったく新しい料理の導線を設計できるかもしれない。

- No.10
- レストランにとって、ホームページはもう必要ないのか?
企画の問い(Problem)
近年、「レストランにHPはもう必要ないのでは?」という声が増えている。
たしかに、以下の理由はもっともだ。
メニューや営業時間はGoogle Mapsやグルメサイトで完結する
最新情報や料理写真はInstagramや予約アプリで十分に伝わる
予約機能もLINEやTableCheckなどの外部ツールに移行している
では、いまホームページを持つ意味とは?
もはや“情報を並べるため”ではなく、“体験の前哨戦”として再設計する余地があるのではないか?
観察と仮説(Observation)
● 機能的役割はSNSや地図アプリに吸収されている。
SNS → 「雰囲気・料理・人気度」の視覚共有
Google → 地図・電話番号・レビュー・予約導線
食べログなど → 体験者レビューによる“客観性ある補足”
● でも、「物語性」「思想」「世界観」は残されている。
SNSでは分断的になってしまう「料理の思想」や「空間の意図」は語れない。
HPはむしろ「余白」や「静けさ」「編集」の力を使えるメディア。
フィロソフィーを伝える“言語的UI”の可能性がある。
思考とスケッチ(Design Exploration)
- ホームページは「体験の前の記憶装置」として機能する
単なる告知ではなく、「訪れる前から始まる体験設計」として使う。
→ 例:「このページを読んだ人だけが知る、当日の“仕掛け”がある」など。
「お品書き」ではなく、「今日という日をなぜこの構成にしたか」という一日一膳的な思想公開。 - 哲学・思想を伝えるコラム的コンテンツ
シェフやオーナーが語る「なぜこの土地に店をつくったか」。
「今月の一皿に込めた記憶」など、料理の思想・記憶のアーカイブ。
外部ライター・研究者と組んだ「味覚と感情」「空間と心の動き」などのコラム連載。 - 一皿の裏側ドキュメント
レシピではなく、「一皿の構想ルート」を可視化する記事。
→ 発想の原風景、スケッチ、試作、失敗、最終皿に至るまでの“思考ドキュメント”。 - Webを「哲学と物語を伝えるレストランの書斎」に
シェフの日記や、店舗の日々の感覚記録(気温、空気、鳥の声、音など)。
料理を“思想のインターフェース”として捉える読書案内や参考文献リスト。
客に“料理に込められた問い”を投げかけるコラムシリーズ:「この苦味は誰の記憶か?」。
シナリオ(Future Scenario)
Webサイトは、「食べる前に読む“文学”」のような位置づけになる。
→ 訪問者は情報ではなく、“思想との接続”を得てから予約する。
店の物語に触れてから行くことで、料理の記憶はより深く刻まれる。
→ 「食べる前に共感が始まっている」状態の設計。
ホームページは「料理を食べる前の味覚的チューニング装置」になる。
結論と問い(Future Question)
SNSが「見せる場」だとしたら、HPは「伝える場」であり、
単なる発信ではなく、体験の“文脈”を生む場所である。
レストランにとってのWebは、食の思想や哲学の“アーカイブ”としての資産になりうる。
「料理は口で食べる前に、文脈で味わうものになっていく」のではないか?